『あなたがその万年筆を使う資格はないから返しなさい』
母親からそう言われたのは10年ほど前だろうか、その時からその万年筆を使うことが怖くなって机の引き出しの奥底深くにしまい込んだ、祖父が大切に使っていた万年筆だ。
祖父のこと
祖父のこと
1927年5月25日 – 2015年7月12日[1] 日本の政治学者。専門は、西洋政治思想史。
福岡県生まれ。1950年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1950年同法学部助手・同法学部通信教育課程インストラクター、1956年同法学部助教授、1963年同法学部教授、1968年同通信教育部長、88年慶應義塾大学早期退職、同名誉教授[2]、「近代ドイツ政治思想研究」で法学博士取得、横浜商科大学商学部教授[3]。1998年横浜商科大学定年退職。日本文化大学法学部客員教授。2003年日本文化大学退職。この他に、旧司法試験第一次試験考査委員や維新政党・新風講師も務めた。主としてドイツの保守思想を研究した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
祖父が大学の名誉教授なのは小さい時からよく知っていた、私が小さかった頃はお酒が大好きな優しくも酔うとときどき面倒だがそれでも大好きなおじいちゃん、そんな人だった。
ただ、祖父がどれだけ偉大な人間だったのかは、自分が年を重ねるごとに尊敬が大きくなっていく。
私と祖父の万年筆
私が小さいとき訳あって同じ屋根の下で暮らしていたとき、万年筆という物がただただかっこよく、祖父の書斎に入っては『このペンちょうだい!!』と何度もせがんでいたが、『お前にはまだ早いから、やらん(笑)』と笑いながらあしらわれていた。
そんなやりとりから数年後、社会人になった私が祖父の書斎に入り、ふざけ半分で『このペンそろそろちょうだい(笑)』と言ったとき、『これはお前にやる、大事にしなさい。』そう言って万年筆とインク瓶を手渡されたのだ。
当時はずっと欲しかった万年筆をもらったことだけが嬉しく、メモ帳と一緒に持ち歩いていたが、手入れの仕方もインクの補充の仕方も知らず、途中からインクの出なくなった万年筆をお守りのように持ち歩いているだけになってしまったのだ。
資格のない者
それから時は流れ祖父が施設に入っているときだった、当時会社も忙しく結婚して子供が生まれた自分はなかなか祖父に会いに行くこともできずにいた、そんなとき母親に言われたのだ。
『あなたがその万年筆を使う資格はないから返しなさい』
資格がない….祖父から譲り受けた万年筆を持つ資格がない、確かにそうなのかもしれない、エリートな親族から出てしまった異端児のような自分がこのペンを持つ資格、そんなのあるはずがないか….
なんとも言えない恥ずかしさと悲しさが込み上げた、でもあのとき万年筆を手渡してくれた祖父の笑顔は忘れない、たしかに受け取ったんだ。
母親にペンは渡さなかった、けれどペンを持っていることが怖くなって、引き出しの奥底に封印したのだ。
あれから時は経ち、祖父は亡くなり『万年筆を持つ資格がない』という呪いのような言葉から離れることができず、『祖父に万年筆を返すべきだったのか』『自分よりふさわしい者にこのペンを渡すべきだったのか』悶々とした気持ちを抱えたまま日々過ごしていた。
相変わらず万年筆は引き出しの中にあり、法事や卒業式・入学式、大切な勝負事があるときだけ、後ろめたさと一緒に胸ポケットに入れていた。
ところが先日、母の妹である叔母からのアドバイスで突然呪いが解けた。
『何が正しいかは自分で決めるの、今まで沢山我慢して、みんながうまく行くようにしてきたんだから、そろそろ自分が楽して生きなさい。自分が生きていれば、合わなくなる人もいるけど、それは自分も人も進化しているんだから仕方ない。 良い息子になる必要もなければ、良い孫になる必要もない。』
心の中のどこかでカチッとスイッチが入ったような気がした。
『そうか、やっぱりあの万年筆は自分が使っても良いのかもしれない。しっかり手入れをして祖父が使っていた時のように生き生きとしたペンにする、それが今の自分にできる祖父への最大限の敬意なんじゃないだろうか…』
そんな感情が込み上がってきたのだ。
万年筆と向き合う
そして、改めて祖父の万年筆を見つめ直すことにした。
万年筆の基礎、そしてこの祖父の万年筆のことをちゃんと知ろう、そして手入れし直して祖父が作り上げた書き味から、自分に馴染むようにするんだ。
本屋に行って万年筆の本を読み漁り、基本的な洗浄方法から万年筆の仕組みを徹底的に理解する。
祖父の万年筆は、ペリカンというドイツの老舗ブランド、収納時の長さが141mmというところからスーベレーン M800ブラックという万年筆ということがわかった。
もちろん今でも手に入る万年筆だが祖父が古くから持っていたという証拠が天冠のデザインの違いである。
このペリカンと子ペリカンたちが刻印されている天冠のデザインが、1987〜2003まで使われていたデザインである。さらにもう少し細かくいくと、天冠の加工方法がカットアウトメタルディスクとパンチドアウトメタルディスクの違いで年代が分けられる。
・前者のカットアウトメタルディスクは1987〜1991年
・後者のパンチドアウトメタルディスクは1991〜1998年
祖父の万年筆は前者のカットアウトメタルディスクと思われる。
さらにキャップリングの刻印がW.GERMANY(西ドイツ)という刻印になっており、1990年10月の東西ドイツ統一の前に製造された万年筆ということになる。
結果的に1987〜1991年の万年筆であることがわかったので、私が5才〜9才あたりから使っていた万年筆であろうと推測できる。
使い込まれた祖父のペン先
長年使い込まれたペン先は、もともとF(ファイン|細字)だったが既にB(ボールド|太字)になるほどペン先が太くなっていた。
日頃から小さなアイデア帳にビッシリと書き込む私は、ボールドでは太すぎて字が潰れてしまう、これをなんとか細くする方法はないかを調べた。
そして見つけたペンドクター・ペンクリニックという存在。 定期的に大型文具店や百貨店にペンドクターが来て万年筆のペン先の調整をしてくれるペンクリニックというイベントがあることを生まれて初めて知った。
自分の住んでいる街にペンドクターはいるのかを調べてみると、コロナの影響で軒並みペンクリニックの開催が中止となってしまっていた。 ダメ元で文具店をまわりペンクリニックの開催はないかを聞いてみたが、しばらく開催の兆しが見られないとのこと…..郵送でペンを送って調整してもらうという手もあるのだが、正直対面で調整をして書き心地を確認してみないと不安で仕方がない。
ただ、少しの調整であれば自分でやっている方もいたので、一か八かものすごく慎重に、そしてほんの少しだけ紙やすりの上でペンを走らせ、ペン先(ニブ)の切り割りの調整をしてみた。
天国から祖父が手伝ってくれたのか、奇跡的にうまくいった…まったくの偶然であるが書き味も自分好みになったのだ。
これで5mm方眼の小さなノートにも書き込めるほどのペン先になった。
その瞬間、スッと心が軽く心地よい風が吹いたような気がした。
インクとノートの相性を探す旅
万年筆は万全の状態になったが、次はインクと紙の相性の壁が立ちはだかった。
私が使いたいインク色はブルーブラック、そして使いたいノートはパスポートサイズの方眼ノート、この縛りをクリアできる組み合わせを探し求め、色々なインクとノートを買って相性を確認するも、ほとんどの紙が裏抜けしてしまう。
散々探し回った結果↓
トラベラーズノート純正のMDリフィルと、パイロットのブルーブラックインクが良いということに落ち着いた。
後から気がついたことだが、純正のリフィルはMD用紙(ミドリダイアリー用紙)というものを使用していて、万年筆でもにじみや裏抜けがしにくい用紙だった、灯台下暗しである。
自分の万年筆として描き始めたノート
祖父の万年筆を調整して書き上げた最初の2ページ、これから作っていくアイデア帳はボールペンではなくこの万年筆で描いていこう。
天国から祖父はなんと言っているんだろうか、使って良いと言ってくれているだろうか…その答えは誰もわからないけれど、大切に使っていこうと思う。
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