作者のこと(僕とスターウォーズのこと)

作者はなぜこんなにスターウォーズが好きなのか、そして9歳のころにスターウォーズと出会い、スターウォーズという世界にどれだけ自分が助けてもらったのか、そんな作者の生い立ちのまとめ。

9歳の僕

はるか昔、僕が小学校3年生(当時9歳)の時にスターウォーズに出会う。 それまではスターウォーズがなんなのか、ダース・ベイダーやライトセーバーの存在すら知らない、仮面ライダーも戦隊モノも観ない、ただひたすらミュータントタートルズだけをこよなく愛する変な子供だったのだ。

将来の夢はニューヨークの地下に住むこと。

そんな変な少年がスターウォーズと出会ったのは9才夏、銀座の博品館というオモチャ屋だった。

↑コレです。

このオモチャを手に取り雷に打たれたような衝撃が走った。一番右側の戦闘機X-WINGを見て『こんなカッコイイ戦闘機は見たことがない』と感動して、

そこから僕と父はスターウォーズの世界へと飛び込んでいったのです。

まぁ正確に言うと僕が勝手にのめり込んでいき、自分でアルバイトするまでは父が色々と買ってくれた感じですが(笑)

当時Windows95が出る前、DOS/Vと言われる父のパソコンで一緒にやっていたスターウォーズのゲーム↓

当時スーパーファミコンが出たての時だっただろうか、スーパーファミコンよりはるかにクオリティの高いスターウォーズゲームだったのがこのレベルアサルトである。 父とジョイスティックを使いのめり込んだのを覚えている。

スターウォーズコレクション

いつだってビデオを持ち出してスターウォーズを観る、小さい時には気づかなかったセリフの意味が年齢を重ねるごとに解決していく、僕は人生の大半をスターウォーズに託しながら生きてきた気がする。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉①

ちょうどそんな歳のころ、ある日突然母親が家を出て行った、祖父母や親戚が来て何か話し合っていた、今思えばおそらく大騒ぎになっていたんだろうが、僕は怖くて仕方がなかったのだ。

運命は変えられないの、夕日が沈むのを止められないように

これは、後に観たエピソード1のアナキン・スカイウォーカーのお母さんシミ・スカイウォーカーがアナキンに伝えた言葉だった。

出て行った母親はもしかしたらこう言いたかったのかもしれない…きっとそうだ、ジェダイになる為に母親との別れは必要なんだと、子供なりの持論で思い続けるとなんだか怖い気持ちも勇気に変わる気がしていた。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉②

小学生の時から背が小さかった僕は、ヨーダが言ったこの言葉をいつも心に思っていた

わしは小さいから弱いか?

背が高くてかっこいい男になりたい…でも小さくてもすごい人はいる、そう…ヨーダのようになるんだ。 人は見かけによらないそんな人間であり続けたい…そう思い続けてさほど背も伸びず社会人になった今でも割と小柄な僕である。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉③

中学の頃にあった出来事。 体育の時間に忘れ物を取りに教室に戻った時、誰もいなくなった教室でクラスメートがボコボコに殴られていた。

そのまま見過ごして授業に戻ることもきっとできたんだと思うが、そんな時に大好きなオビ・ワン ケノービの言葉が頭をよぎる

自分が正しいと思うことをしなさい

やめとけば良かったのだろう…そのボコボコの真っ最中に止めに入ってしまった、当然だがその次の日からのターゲットは自分である。

祖父母に育てられた自分は、こんな情けない話しはできないと誰にも話せず、当時の自分ではこの状況から抜け出す術もわからず、本当に死にたいほど辛かった時期があったが、今思えばオビ・ワンは正しかったと言えるだろう。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉④

そんな最悪真っ最中の僕、もう誰も助けてくれない、逃げることもできない説破詰まった自分が向かった先は国語の先生だった。 その先生からは叱られたこともたくさんあったが、厳しくも正しい道徳というものを持っていた先生で、なにか希望の光をくれるのではないだろうかと藁にもすがる気持ちで相談しにいったのだった。

我々が考える真実のほとんどは自分の見方で変化する

このオビ・ワンが言った言葉とほとんど同じことを国語の先生は自分に教えてくれた、いじめられているという事実は今は変えられないけど、いじめられない生き方は自分の見方次第で変わる、ここから自分の人生が一転していったのは本当に忘れない。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑤

そんなことがあってから、ダークサイドというものを意識するようになった

惑星ダゴバでのルークとヨーダのやりとり

フォースには暗黒面もある 怒り 恐怖 敵意 それが暗黒面だ

いじめるヤツらに対しての怒り・恐怖・敵意こそが暗黒面なんだと…

暗黒面の方が強い? いや、そうではない。入りやすいのだ。

そう、いじめられている事に対して恐怖を感じて怒りに身を任せるのは意外と簡単な道なんだ、そうじゃない考え方をしなくちゃいけないとアホみたい考え続けた夜があった。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑥

父の会社が倒産し家族がバラバラになった高2年の夏、夜中に独りでいたアパートへ借金取りがあらわれた高3の夏。

帰宅しても独りだし、怖いから帰る意味もなくギターを持って駅で歌っていた時期がある。

端から見れば不良集団と思われていたんだろう路上で唄う仲間達が大好きだった時、酔っぱらった客に言われた言葉がある。

「お前らみたいなヤツが将来立派になれる確立なんてないと思え!!」

そう言われた。 そして自分がとっさに言い返した言葉

確率なんてクソ食らえ!!

確率なんてクソ喰らえ…そう繰り返しながら、強がってはいたが、内心本当に自分の人生が惨めなのはわかっていて、悔し涙を流しながら帰宅した思い出がある。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑦

このまま自分の人生を惨めなまま終わらせるわけにはいかない、そう思いながらなんとか専門学校へ入学し、目指していたグラフィックデザイナーとして社会人になって間もない頃、こんなデカイ仕事できるわけないじゃないですか…という状況に出くわしたときに思い出した言葉。

サイズは何も違わん。そう思い込んどるだけだ。

ヨーダの言葉が心に刺さった。 そうか…仕事に大きいも小さいもない…期待されるから依頼されるんだ、大きいと自分で思い込んでいただけなんだ…

そう思って踏み込んだ仕事は、先輩達に見守られながら成功した。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑧

会社で徹夜が続き、髪はボサボサ、髭は伸び続け、どんなに頑張ったって周りのデザイナーに勝てない…憧れていたデザインの世界とはほど遠いボロボロになった自分の姿。

このままずっと寝ずにやったって勝てない、そう思っていた時にデスクに置いてあったミレニアム・ファルコンを眺めて思い出した言葉

外見はボロだが中身で勝負だぜ!

そうか、ボロボロになってるけどコイツは銀河一早いミレニアム・ファルコン号だ、僕は自分にしかできない中身で勝負すればいい他のデザイナーにできない自分にしかできないことで勝負しよう。

そう思ってから自分にしかできない同僚のPCの修理をしたり、先輩のデータを復元させたりしたことで新しい自分を切り開いていった。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑨

社会人になって5年ほど、今までに経験したことも習ったこともないコマンド入力やプログラミングの仕事をやることになり、理不尽さに納得がいかず仕事に失敗することだけしか考えられなくなり現場から飛び出し公園で頭を冷やしに行った時に思い出した言葉

違う!やるか、やらぬかだ。ためしなどいらん

『やらない』という選択肢がないわけではない、会社を飛び出して辞めるという道もある、でもやってみて失敗してから辞めればいい。

そう思って挑んだが無念にもストレスで手の皮が剥がれ頭がはげかけたものの、最後の最後でなんとか高いハードルを乗り越え、自分のスキルとして身につけ、自分の底力を知った思い出。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑩

初めてパパになった日に息子を抱いて思ったこと

お前の父はワシだ

ダークサイドに堕ちているんだかいないんだかわかりませんが、とにかくこの日からジェダイを育てる気満々だったことは間違いない。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑪

教師になって7年の冬、自分が教えるということにひどく自信を失った時があった、そんな時にヨーダが教えてくれた言葉

今まで覚えたことを全て忘れるのじゃ

今までの先生とはこういう人間で、こういう生き方をしていくもの、そんな自分の固定概念を捨てることで次の新しい何かを見つけるきっかけになった。

そして教師になって10年、ヨーダから教わった新しい言葉

失敗こそ、最高の師となる

自分の失敗したことを人に教えていけばいい、それが最高の教育だと。大人になった今でもヨーダから大切な教えをもらっている。

人生を救ってくれたスターウォーズの言葉⑫

親から教えてもらえない大切なことをたくさん教えてくれた叔母が亡くなった。

御朱印巡り・ハロウィンの行事・ピアノ・暑中見舞いの絵の描き方・チャンスの神様が前髪しかない話、本当に今でも大事だと思える言葉をたくさん教えてくれた叔母が亡くなり、ずっと会っていなかったがやはりお別れは悲しいものである。

死は生きることの一部だ。

そうヨーダが言っていた、死は避けられないが叔母はきっとたくさんの人に心に残る言葉を残し、たくさんの人に元気をくれた人だったんだろう。

そして時は経ち…

そんな色々あった人生前半戦、振り返ると一番大好きだった時間は父親と一緒にスターウォーズの世界にいるときだった。

ゲームをしたり、オモチャを買ってもらったり、映画を観に行ったりとにかくその時間なら辛いことを忘れることができた。

そして1997年『スター・ウォーズ 特別篇』が公開された時、まだ1人で東京に出たこともなかった自分が必死に東京へ向かい、仕事帰りの父親と新橋駅で待ち合わせ、向かった映画館で観たスクリーンに映るあのタイトルロゴ、あのイントロを聴き、いじめられていたことも、親の離婚も、お先真っ暗な辛い毎日も、父親とスターウォーズを観ているこの時間が忘れられない幸せな時間だった、だからきっとあのイントロを聴くと自然と涙が出てきてしまうのだろう。

その時に買って貰った三部作のメトロカードと記念メダルは今でも大切な宝物である。

人生がいっぱい詰まった映画、これが僕のスターウォーズが大好きな本当の理由である。

X-WINGマイクロマシン

父親と作ってきたスターウォーズは、次に自分が父として息子と作っていくスターウォーズに。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 突然のご連絡大変失礼致します。
    私、TBSテレビで番組制作を行っております。
    制作会社ディ・コンプレックス浜野美咲と申します。

    現在制作しております番組で
    「スターウォーズが大好きすぎるパパ」として番組出演のご相談をさせて頂きたくご連絡致しました。
    つきましては、番組の詳細など詳しい内容のご提示をさせて頂きたいと思っております。
    ご興味をお持ち頂けるようでしたら記載しておりますメールアドレスにご返信を頂けますと幸いです。

    何卒、ご検討のほど宜しくお願い致します。

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