たま〜に訪れる、モノストックブログらしからぬすごく真面目な記事(笑)
先日、GIGAスクール構想 ICT利活用の高度化のセミナーを受けてきたのだが、2.5Hの講義で想像以上に興味津々に聞いてしまったぜ… というのも、理由が3つあって
- 自分の子供たちが通っている小学校がGIGAスクールに対してかなり力を入れて教育に取り入れているので、親の立場としてどう向き合うべきなのか?
- 自分が教育現場の人間なので、今後自分の力でなにができるのか?
- 今自分たちが実際に現場でやっている方向性は正しいのか?
という、親としても教員としても、これから必要なスキルだと思ったからである。
今日はそんな面白い講義を受けて、自分なりにわかったことをまとめていこうと思う。
まずGIGAスクール構想・ICTってなんなのよ
そもそもGIGAスクール構想っていう言葉やICTというフレーズ自体いきなり言われたところで、戸惑ってしまう親もいるのではないでしょうか?
GIGAスクール構想は、文科省が「そろそろ子供たちに一人一台のパソコン使って教育していかないとヤバイよね?」っていう若干世界に遅れをとってスタートした構想である。←砕けた言い方ですが…
具体的には、全国の小中高でPCやタブレットなどを使い、インターネット環境を整え、リテラシーを理解し創造性を育む教育をしていくというもの。
ICTとは、「Information and Communication Technology」(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー)の略で情報通信技術のことを言っている。コロナの影響も相まって国内でも加速化してきているので、2021年がICT元年とも言われているらしい。
わかりやすい例でいくと、SNS・メール・LINEなどでインターネットを使って人と人とのコミュニケーションを手助けすることをICTの活用と言ったりする。
これからの時代はPCは鉛筆やノートと同じ
今回の講義でなるほどな!!と思ったのは、これからのPC・タブレットは『文具的に日常の中で使っていく』という考え方。
文具か〜、なるほどな〜、、今の子供たちにとってPC・スマホ・タブレットは日常生活にあるもので、遊びとしても勉強としてもあたりまえになるツールなわけだから、文具として受け入れる必要があるんだなと思った。
これからの時代はVUCA?
VUCA:変動性(Volatility)・不確実性(Uncertainty)・複雑性(Complexity)・曖昧性(Ambiguity)の時代、工業社会→情報社会へ本格的に切り替わる。
↑ということなので、当然教育もそれに準じて変化しなくてはいけないわけだが…これがまた日本特有の変化の遅さで、対応できていないのが現実。
この遅れは、新しいテクノロジーに対する積極的な理解〜導入に積極的じゃない『変化を嫌う』日本人特有の保守的な考え方が世界の流れに乗れない一つの要因になっている。
もちろん保守的な日本人だったからこそ守られてきたものもあるけれど。。
意外とうちの現場は最先端
一番ここ最近でわかりやすい乗り遅れが、コロナに遭遇した際の教育現場の対応の遅さだと思う、オンラインへの切り替えは世界に比べてもかなり遅れているわけだが、僕のいる学部でのオンライン対応はかなり迅速だったと自負している。 いや…冗談抜きで真面目に頑張った甲斐はあった。
2020年のコロナが広がった時に作った資料↓
もともとGoogleのエデュケーションサービス(教育現場は無償で全サービスが使える契約)をコロナより前に取り入れていたのもあり、あとはシステムを整備して、講師と学生に使い方をレクチャーすれば動かせる!! という状態ができていたのが幸いだった部分もある。
このエデュケーションに入るきっかけも、本当にひょんなことからだからすごい。
いつも非常勤講師の先生と話をしている中で出てきたちょっとした話題から、『無料で学生が使えるならやってみるかな』というところから、Google本社宛に英語で申請手続きを始めたのである。
ゲートキーパーモデルからメディアリテラシーモデルへ
ゲートキーパーという言葉はIT用語とかではなく、厚労省では自殺しようとしている人の様子を察知して声がけなどで自殺防止に繋げられる人のことをゲートキーパーという言い方をしていたりする。
要は今までの先生というのはゲートキーパーモデル(先生がいかに生徒をコントロールするか)だったのが、これからの時代はきっかけ・動機づけに応じて、能動的・積極的 働きかけと応答ができる先生へと変化していかなくてはならない。
教員は生徒の伴走者的な役割をしていく時代になるということか…なるほど。
学ぶとはどのようなメカニズムか
人がモノを学んでいくときのメカニズムを大きく4種類に分けると下記のようなカタチになるらしい。講義中の自分のメモをそのまま貼り付けたほうがわかりやすいので↓そのまま貼り付ける。
■行動主義: 何回も繰り返せばいいじゃん、ドリル型:B.F.Skinner
■表象主義: 先生の正解をコピーする考え方・ドラえもんのアンキパン←合理的じゃない
■心理的構成主義:思い込みの世界で出来上がっているが、その外にあるものを中に取り込む、自分の頭をダイレクトに働かせている(ラプンツェル?) :J.Piaget
■社会的構成主義: 周りにいる人が子供にヒントを出している 大人がモデルを示している
日頃から教育に対して真摯に向き合っているつもりではあるが、具体的に「学ぶ」ということを紐解いていくとこういうカタチで整理することができるんだな〜と改めて実感。
確かに自分の授業も受け持つ科目によって、課題の出し方や進め方はワンパターンではなくて上記のどれかに自然と準じている気がする。
子供がYoutubeばかり観ているのは悪なのか?
親としてはここが一番悩みのタネだったりする…というのも親から見れば子供が観ているYoutubeは、ユーチューバーと言われるモラル・コンプライアンスの欠如したただただ自分が楽しいものを、面白おかしく編集して流している、そんなチャンネルに興味を持っている子供たちに不安を抱いているのだ。
もちろん上記は親の思い込みであって、中には本当にためになる配信をしているチャンネルだってたくさん存在している、ただここでキーになってくるのが親の考え方のスイッチである。
デジタルは日常(文具・連絡・共有手段)となってきている時代に、果たしてYoutubeが本当にくだらないのだろうか? 昔『TVの見すぎ!!』と怒られてきたが、それがYoutubeへと置き換わっている部分もあったり、昭和の時代であった『ファミリーコンピューター』と同じものがある。
親は自分の生い立ちには存在しなかったものが子供の日常に入ってきた時に、不安を抱かざるを得ないという時代の繰り返しのような気もする。
おニャン子クラブの歌がハレンチだと騒ぎ立てる時代もあれば、Adoさんの「うっせぇわ」を子供が連呼し、モラル欠如だと騒ぎ立てている時代もある、要はどんな時代にも子供の教育を脅かす要素は存在していて、怖がっているのは大人たちなのだ。
では、ファミコンやおニャン子クラブを経て大人になった僕らはなんの生産性もない大人になってしまったのだろうか? そんなことはない、子供は親がくだらないと思ったものを受け止めて新しいものを創造していく力を持っている気がする。
ここで一つの結論が出てくるわけだが、家で子供がPCをやっていても遊びとは限らなくなってきている、ネットはプライベート・学校関係なく日常であるわけなので、親・教員がモラルパニックを起こさず、子供が良いと思っているものを受け入れ、プライベートと学校での正しい使い分け(私用と社会的使い方)・リテラシーを大人が寄り添って支えてあげなくてはならない。
まさに前述の「ゲートキーパー→伴走者」への変化である。
これからの親・教員は常に時代の変化を察知し受け入れ、子供たちへの愛情を持ち続け、違う世代との不一致を理解できる教育をしていくスキルが必要なのかな〜。
子供たちは自分で選択できる力をつける時代へ
散々デジタルツールの話しをしてきてなんだが、決して僕はデジタルを推しているわけではなく、子供たちがケースに応じて、アナログ・デジタルの使い分けができるような判断をしていけるような教育が大切なんだと思っている。
一つの課題について子供たちがどんなツール使って課題を解決できるのか、そのプロセスを想像できるような脳みそを育てることがベストなんだと思う。
恩師から教わった僕が大切にしている教育理念
“人は人によって育てられます” どんな教育法や理論よりもまず、“人”を大切にする。
いくら素晴らしい教育法であっても目の前にいる子供に合っているかを見極める力がなければが絵に描いた餅でしかなく、教師にそれを見極める力と想像力と応用力がなければ子どもたちには伝わらない。
たとえ学力、英語力、音楽、運動などの技術を身に着けたとしても、それを活用する人間の資質がなければ自分自身の目的達成や社会貢献には繋がらないのではないかと考える。
↑これは僕が幼少期からお世話になっている恩師の考え方、この考え方が教育の本質だと心の底からそう思っているので、僕の中でもこの理念が常に根本にあるのだ。
こんな時代だからこそ、デジタルという力を上手に使いこなしていける子供を育てる必要がある。
テクノロジーは道徳のない増幅器…コントロールするにはジェダイ・コードがうってつけ。
見出しにあるようにテクノロジーは道徳のない増幅器なわけなので、良く使おうと思えば正義に、悪く使えば悪にすることは容易である。
まさにスター・ウォーズに登場するライトサイド・ダークサイドのことだと思う←またスター・ウォーズかよ(笑)でも冗談抜きで、ジェダイの掟にあたるジェダイ・コードはこれから先の子供のデジタル教育にはうってつけな気がするのだ
ジェダイコードとデジタルツールの関連
・他者に怒りを向けることを禁じる
人に怒りを抱いた状態のPC・ネット利用は危険しかない、人・モノ・組織への怒りを正義と勘違いしたネットでの行動は炎上につながり誰も救われない
・特定のものへの執着は禁じる
同じ趣味の共感・共有は楽しいが、ネット上の人間・組織への執着は危険が伴うをことを忘れてはいけない
・丸腰の相手を殺すことを禁じる
ネット利用者は全員丸腰である、自分の軽い気持ちで行った行動・発言が丸腰の相手を殺すことになる
・復讐のための戦いを禁じる
誰かの復習のためにネットを利用してはならない
フォースの考え方をネットに置き換える
ジェダイ(ネット利用者)はフォース(インターネットの力)を学び、フォース(インターネットの力)とともに生きていかなければなりません。
フォース(インターネットの力)を使いこなし、フォース(インターネットの力)をコントロール、フォース(インターネットの力)を深く理解しなければなりません。
フォース(インターネットの力)と気持ちが通じ合えば大いなる力を得ることが出来ます。 だがそれを賢く使いこなさなければなりません。
ジェダイ(ネット利用者)は、自分や他の人々の知識や知恵を大切にします。 真実やウソの見分け方や効果的な、情報入手法を学ばねばならない。
こうした技術を得る事で問題を解決し、対立を解消できる。
↑これは非常に理にかなっている気がする、我が家の家訓にしても良いくらいだ。
結果として非常にためになる講義を受けさせてもらったわけだが、最終的にスター・ウォーズに繋げてこの記事を終わらそうとしている(笑)
親の立場であるみなさん、まだハッキリと見えない子供たちの未来をどう受け止めていくのか、少し参考になってくれればありがたい。
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