
ミラージュにもスタッフが加わり、更に人気を高めていった。

タートル・パワー:ミュータント・タートルズ 誕生ストーリー (字幕版)
1984年の春、セレクトショップで、一風変わった新しいコミックがレジの横に置かれた。棚に入りきらないそのコミックは奇妙すぎて無視できないものがあった。
イーストマンとレアードのティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズは全く新しいスーパーヒーローの形を提示した、かなり風変わりでおかしな物語だ。このような今までの決まりごとをすべてぶち壊す漫画が成功するはずはなかった。しかしコミックは完売したのである。
30年間何度も何度も。“偶然の産物”はいかに世の反対意見に打ち勝ち、世界で最も人気のある、愛されるシリーズーの1つとなったのだろうか。その内幕をのぞいてみよう。
その後コミックはアベンジャーズを上回る人気が続き、さらなるファンを獲得していった。
そしてニューヨークの代理店に務めていたマーク・フリードマンという男が、二人に『5年の猶予をください』とスタジオにやってきた、二人は現状に満足していたため渋っていたが1ヶ月半で企画を持ってくるようフリードマンに伝えた、面白ければ考えると。


そしてフリードマンは気泡ゴム製の大きなタートルズの人形を二人に持ってきた、彼はこれを車の助手席に乗せて玩具メーカーやテレビ局をまわり4匹のカメの本格的な宣伝活動が始まったのだ。
プレイメイツ トイズとの出会い
フリードマンは売り込みの最中色々な企業に笑われた、ディズニーが検討したが却下されたという話もあったらしい。 そして最後に行ったプレイメイツ トイズという玩具メーカーのリチャード・サリスという男にタートルズの話を持ちかけた。
当時プレイメイツ トイズはマテル社を含むすべてのフィギュアを制作していた、ただプレイメイツ自身のキャラクターがなかったため赤いバンダナを巻いたカメの人形には興味を示したのだ。

プレイメイツ トイズのマーケティング担当であった、カール・アーロニアンとジョン・ハンディはリチャード・サリスからタートルズのコミックを見せられた、彼らはタートルズのコミックを見てすぐにアクションフィギュアに最適だと考え、プレイメイツ会社全体へ企画をプレゼンしたが、反応は良くなかった、理由としてはコミックで人気を作っているアンダーワルドなキャラクターをフィギュア化しただけでは利益には繋がらないと考えたのだろう。
カールとジョンは転職を考えたがリチャードは「まだこれからだ」と彼らを引き止める。
一方フリードマンはフィギュアを売る前に、TVアニメを作って認知と話題を拡大させようという企画に踏み切ったのだ。
アニメーションの誕生

広告代理店のフィンリーがアニメーションプロデューサーであるフレッド・ウルフという男にタートルズの話を持ちかける、タートルズをアニメ化できるか?と。
その後フレッドは映画脚本家であるデビット・ワイズと出会い、タートルズのアニメ化へ向けて企画が始まっていった。
こうしてリチャード・ハリス率いるカール・アーロニアンとジョン・ハンディのプレイメイツチームは玩具開発、フレッドとデビットはアニメ化という企画が並行して進んでいったのだ。
そしてついに、86年12月マーク・フリードマンとケヴィン・イーストマンとピーター・レアードのミラージュスタジオチームはプレイメイツとの契約書にサインをしたのだ。
世界中の子供を虜にするティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズの拡散作戦が始まった瞬間だ。
ケヴィン・イーストマンとピーター・レアードが有り金を使い出版を開始してからわずか3年という年月でみるみるファンを増やし、ものすごいスピードで盛り上がっていったのだ。
奥が深い声優陣(海外)
wikipediaで調べると細かく当時の声優陣がわかるが、海外の声優は複数のキャラクターを演じているのがわかる。例えばドナテロの声は実はビーバップも、スプリンター先生はチャンネル6のバーノンなど、クランゲの声はチャンネル6バーン所長やケイシーの声もやっていたりする。
キャラクター | 海外版声優 | 日本語吹替 | 実は… |
レオナルド | キャム・クラーク | 中村大樹 | |
ラファエロ | ロブ・ポールセン | 柴本浩行 | |
ミケランジェロ | タウンゼント・コールマン | 桜井敏治 | |
ドナテロ | バリー・ゴードン | 宇垣秀成 | 海外:ビーバップの声も |
スプリンター | ピーター・レナディ | 梅津秀行 | 海外:バーノンや他のキャラクターも |
エイプリル | リナ・ジェイコブス | 篠原恵美 | |
クランゲ皇帝 | パット・フレイリー | 梅津秀行 | 海外:チャンネル6のバーン部長・ケイシー・ジョーンズも |
シュレッダー | ジェイムズ・エイブリー | 梁田清之 |
日本の声優陣も好きだが、個人的に一番好きな声はレオナルドの映画版吹き替えをやってくれていた堀内賢雄さんだ、堀内さんの「スプリンター先生!!」という声が非常にマッチしていると思う。
夢の詰まった玩具開発も悪戦苦闘

キャラクターもNYによくいる職業のキャラクターたちをベースにアイデア出しされていった、警察官・消防隊・パン屋などなど、それぞれの職業の武器を持っているタートルズにとっての敵キャラである。
下水道の設定も様々あったようだ、下水道の壁が喋る設定なんかもあったらしいが、もし本当にそうだとしたら僕は好きになっていなかった可能性がある…
フィギュアの大きさも試行錯誤を繰り返し原点回帰し、9センチフィギュアに落ち着いたそうだ。

各キャラクターやジオラマのアイデアが固まってくると、今度はカメたちが乗る車やバイクのデザインを行った、ここでも必ずパーツの中にカメを思わせる要素が入っている、↑これは僕が持っているタートルズのバイクだがハングライダーに変形することができる、デザインも斬新で気に入っている。


憧れのタートルワゴン

一番欲しかったタートルワゴンは残念ながら当時高くて買ってもらうことができなかったが、僕が大人になってから息子にセガマれるとは思わなかった、フランスのおもちゃ屋でタートルワゴンを買ってきたが、ちょっと自分が欲しかった(笑)
デス・スターがヒント!?

小さい時からスターウォーズに出てくる巨大要塞のデス・スターに似ているな〜とは思っていたが、本当にデス・スターもヒントになっているとは驚きだった。
関節が球状になったフィギュア
今では当たり前になったフィギュアの関節が球状になっていてグリグリ動かせるが、当時の人形は関節が棒状になっていたため手足を上下に移動することしかできなかったのだ。

ジョン・ハンディはこの関節の部分を球状にしてフィギュアをより豊かにポージングできることに貢献していた、これは僕の記憶にも鮮明に残っている、当時関節が球体になったフィギュアは珍しかったため、色々なポーズができることに感動した。
思い出のフィギュア


↑これは、僕が人生で一番最初に買ってもらったベーシックフィギュアだが、球体関節バージョンではなく可動領域が決まっているのだが、何が良いって甲羅の中にすべての武器とピザが入ってしまうという斬新な設定に当時の僕は一目惚れしたのだ。


↑小3のとき、原宿のキディランドで悩みに悩んでミケランジェロのこのフィギュアを選んだのを覚えている、裏面に描かれたアニメにも登場しないような謎のキャラクターたちを眺めながら、いつかコンプリートしたいと思っていた。

そして、商品棚の上の方に置いてあったこの玩具が本当はすごく欲しかったが、価格的にも絶対に買ってもらえないし、そもそもフィギュアがないと遊べないと思い、ミケランジェロのフィギュアを抱きしめながら見上げていた。
アニメとの矛盾
当時アニメしか知らなかった僕にとってはアニメが基準なわけで、なんでアニメと違う顔なのか、アニメに出てこないキャラクターたちはどこからやってきたのか、などなどアニメとの矛盾を追求していたが、今思えばこの矛盾の追求が僕を更にTMNTの魅力に引きずり込んでいったのだろう。
実は色分けされたのはフィギュアを作るため!?

前回の記事でも紹介しているが、各キャラクターにはそれぞれの色がついている、レオナルドは青・ラファエロは赤・ドナテロは紫・ミケランジェはオレンジと、しかしコミックの段階ではタートルズはみんな赤いバンダナで違いとしては武器のみだった。
これは玩具を売る段階でかなり障害となった、なぜなら同じような4匹のカメのフィギュアを出したところで売れないからだ、そこでプレイメイツは色々と案を出し最終的にバンダナと皮膚の色わけすることに決まった。 ベルトのバックル部分にイニシャルバッジが入ったのもそのためである。

そして最初のフィギュアセットが決まり、トイザらスからもウケがよく、ようやく一歩前進した。↑小さかった僕の記憶にしっかりと焼き付いているパッケージの裏面はなぜか購買意欲が引き立たされた。
テレビ放送は87年の年末から始まり視聴率は好調、狙っていたとおり玩具はものすごいスピードで出荷されていく、空前の大ヒットを巻き起こしたのだ!!
この事実に一番驚いていたのは紛れもなく原作者のケヴィン・イーストマンとピーター・レアードの二人だ、好きで描き始めただけの僕らの作品がこうやってTVガイドに掲載され大人気になっていることが夢のようだと……
カワバンガってスヌーピーから!?
カワバンガ!! これは言わずと知れたタートルズたちの掛け声だが、もともとはサーファーの中で使われていた言葉なのだ。
カワバンガ
この言葉は、1950年代のアメリカの子供向けテレビ番組、『Howdy Doody』に登場するキャラクター、Chief Thunderthud によって使われた言葉、”kawabonga“に由来する。ティンカ・トンカ・インディアン(Tinka Tonka Indians、Princess Summerfall WinterspringとChief Feathermanによる架空の部族)の言葉で、あらゆる驚きを表現するために用いられる”Kawagoopa” という言葉があったが、後にChief Thunderthud(Ooragnak Tribeに属した)が同様の感嘆として”kawabonga“を使い始めた。1960年代、この番組を見て育ったサーファーたちが、この言葉をサーフィンの場で用いて、いつしか「カワバンガ(Cowabunga) 」という現在の語形に変化していった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
そして、ピーナッツの登場キャラクターであるスヌーピーがよく口にしていたセリフでもある、これを番組の制作段階でデビット・ワイズがミケランジェロのセリフにしたことがきっかけで、タートルズの掛け声と発展していった。
こんなに奥が深かったのか….

甲羅を背負った緑の亀たちの物語は、こんなにまで奥が深かったことに驚いている。。
子供の頃に買ってもらったアクションフィギュアたちが出来上がるまでの苦労、TVアニメから浸透させてフィギュアを販売する戦略、そのすべてに夢を持った大人たちのパワーを感じた。
今は不景気が続く現代だけれど、90年代の商品開発にあったあの情熱や感動はやはり言い表せないワクワクがある。
そんなワクワクを感じることができた子供時代にありがたみを感じつつ、大人になった今、今度は自分が子どもたちに夢や希望を与えるための舵を切ってあげなければいけないな…と改めて元気をもらえた。
ありがとう、ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ。
ありがとう、ケヴィン・イーストマンとピーター・レアード。
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