当時中学生。自分の大好きだった幼稚園からの友達が中3の時、何も告げずに突然海外へ飛び立ってしまった、数日後遠いオクスフォードから一枚のハガキが届く、その時自分は何が許せなかったか、返事を途中まで書いて出すのを辞めた覚えがある。今思えばなんてことをしてしまったのだろう、今彼が何処にいるかもわからなくなってしまった。なんとか会える方法はないものだろうか、、考える末に10年近くの年月を費やしてしまったのだ。
そして2008年年末、再会が実現された。ひょんな事から意外と身近に連絡をとっていた友人から集まりの誘いを受けたのだ。10年ぶりの地元鎌倉での再会、中学の頃の面影は、みんな残っていた。っというか変わっていなかった。オクスフォードの彼も全くと言っていいほど変わらない笑顔を見せてくれた。集まったメンバーの中には以前付き合っていた子も、懐かしくもみんな大人になってそれぞれの道を歩いている真っ直中だった。
正直な気持ち、中学の頃の自分は典型的にいじめられていたのだ、一人の人間をいじめから助けた事から始まり、次のターゲットは自分であったのだ、そんなことはわかりきっていてもあの場から「逃げ出す」「見過ごす」ましてや「いじめる側につく」ということはできなかった。それから2年近く誰にも言えずいじめられ続けた。当時助けた彼も他人事のように消えてしまった。
祖父母と暮らしていた自分は、「これ以上心配などかけさせてどうする…」などふさぎ込みをして、作り笑いを覚えた。「幸せ」でなく「仕合わせ」を覚えた。そして自分自身の家庭も不安定、自分が進む術を初めて失ってしまったのだ。初めて死んでしまいたいと思った。唯一の心の逃げ場は父と過ごす週末だけだった記憶が強く染みついている。そして日曜日の夜にやってくる、何とも言えない戦場に向かうかのような葛藤もあの時覚えた。
あれから10年という月日を迎え、今はどうであろう、昔のいじめ等とは微塵にも感じさせない・思い出させない友人がたくさんいてくれる、集まりに呼んでくれる。話しを聞いてくれる、笑い合える。
自分はなんてちっぽけな世界の中で死んでしまおうと思っていたのか。
いじめられたのは自分の人生の中のほんの数秒間のように思えた。思えばあれからが自分の人生の転機だったのかもしれない「前向きに生きる」という術を覚えたし、周りがそれを教えてくれたのだろう。今となってはもはや感謝をしたいと言っても過言ではなさそうだ、周りの環境が自分に生きるギリギリのスペックを持たせてくれたのだと確信した。
文章にするともの凄い長い論文になりそうだ、、でもそんな記憶をたぶん一つの箱に入れて、心の中にいつも持ち歩いている。これからもその箱に沢山入れていくことだろう。そして来年からまた新しい日々が始まるのであろう。ちっぽけな世界で死んでしまわないように、力尽きるまで生き続けるんであろう。
コメント
その日曜日の記憶に似たものを思い出したよ(いじめられる原因って同じだね)。
……
……
でも今日もビールがうまいな〜。
さあ来年の戦場はどんなんかな〜。
今日の戦果は5連チャン(EVA)!! (^^)v
こういう日記好きだよ。
自分の過去の話をちゃんとできる人ってなかなかいないからね。
私も辛い時期あったなぁ。
特に家庭かな。
でもそういう経験ってできた人とできなかった人とで、
人としてどうなるか大きく違うからね。
良い事も悪いことも経験した人は、他人の気持ちゃんと考えられると思う。
辛い気持がリアルに分かってあげられるから。
私、楽な人生送ってる、人の気持分からない人だけは好きになれない。
私は一瞬で分かるよ。人の内心が。
これは今まで私が生きてきた時間と前の会社のおかげだと思ってる。
たかちゃんはきっと優しい大人になれるよ。
私も優しい大人になりたい。
家族、インコ、友達、旦那、私をとりまく人全てを大切にしてこれかも
生きていきたいな。
長くなりました
>taさん
昨年はお世話になりました、年明け早々お電話いただいて、声が聴けただけでもよかったです。日曜日が戦場にならない日が来るといいなぁ、なんて思ってます(笑)
>marie
年をまたいで返事してしまいました。明けましておめでとうございます。
今年もよろしくね。
marieも色々とあったんだね、なんかそういうところをお互い話さなくても、何かしらの経験をしている人っていうのは人と話す時に違うよね、なんだかわからないけど自分もすぐに感じ取ります。
最近思うことは人の気持ちが分からない人っていうのは、自分とチャンネルが違うだけであって他の方向から人のことを考えている人なのかもしれないと思ったこと。かな〜、
marieはいい妻であり、いい大人だから安心しなよ〜♪だからいいお母さんにもなれるよ。