僕は昔から、廃墟・無人島・異世界というフレーズがつくものに強く反応してしまう性質があり、中学の頃に『ムー』や、祖父の本棚に入っていたオーパーツに関する書籍を読み、いつか自分だけ異世界に行ってしまうことができないだろうか…などと中二病をこじらせていた時期がある。
そして大人になり上司から進めてもらった小説、伊坂幸太郎さんの『オーデュボンの祈り』と村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでからというもの、無人島・異世界というものが一層好きになり、親になった今家族ごと異世界へ行ってしまおうという、こじらせた後収束を迎えたはずだった中二病が再発したのだった。
いらない演出
旅へ出るにあたり僕の心のなかではエンドレスで上記BGMが鳴り響いているのだ、今もなおこのブログを書きながらエンドレスで流している。 なのでみなさんも一緒に聞きながら旅をしましょう(笑)
我々は猿島に向かうことにした
『猿島』そこは誰でも異世界を体験することができる、東京湾に浮かぶ無人島である。
和歌山県にある無人島「友ヶ島」も天空の城ラピュタに似ていることで有名だが、猿島もまた廃墟要塞としてはなかなかの魅力があるのだ。
そもそもなんで猿島という名前なのか?
猿島という名前であれば、誰しもが島に大量の猿がいることを想像するだろう、なんなら猿の惑星のように発達した文明を築いた猿たちが島の中にいることが予想される。
実はそうではなく、日蓮上人が安房国から鎌倉へ渡る際、嵐に遭い方角を見失った時に、一匹の白猿が島へ導びき難を逃れたとされる場所で、猿島の名前の由来にもなっているらしい。
島の中には日蓮上人がたどり着いたという洞窟も存在している(現在は立入禁止)
出港前のチケット売り場2Fには猿島の説明展示がある
これから向かう島の歴史や本来の猿島の形・砲台の断面などがわかりやすく模型で再現されているため、出向前から非常に興味深くなる。
船は1時間に一回、横須賀は三笠公園から猿島を運航している。 島から戻る最終便は17:00、これに乗り遅れ、島に取り残された場合は、別途料金を払い迎えに来てもらうという…マジでヤバそうな警告が書いてあったので、気をつけよう。
さぁいよいよ、無人島に着岸である。
到着し早速島に入っていくと、早速古びた建物が見えてくる。 発電所らしい、もうこの建物からして非常にワクワクする、今の若者の言葉で言うならば『エモい』のだろう。
島内写真ギャラリー
島のことをブログで語りたい気持ちもあるのだが、まずはこのエモさを写真ギャラリーで見ていただくのが一番良いと思うのでどうぞ↓
この時が止まったままの無人島の魅力がたまらなく好きである。 壁に埋め込まれたレンガ造りの弾薬庫・兵舎に草木が育ち、まさに天空の城に見えてくる。
途中出てくるレンガ造りのトンネルは『フランス積』と言われる国内でも22ヶ所しか確認されていない貴重な工法なのだそう。
島の外側から発見されないように、トンネルの角度なども計算されて島内に道が伸びている、まさに島の要塞である。
そして発見する怪しいスイッチ
我々は発見してしまうのだった、絶対に押してはいけない岩の存在を。
『恥ずかしいから写真撮りたくない』という思春期に片足を突っ込んだ息子に無理やりカメラを持たせ撮影させる親。
おそらくこのスイッチで島内のどこかがとんでもないことになっている可能性がある。
オイモノ鼻広場
ここは観音崎〜横浜〜房総半島が一望できる絶景ビュースポットである。
パノラマ写真のみだと雰囲気が伝わりづらいので、ここから何が見えるのかはこんな感じである。
島内は体力さえあれば1.5時間ほどで散策できるかと思う、我々は桟橋の方へ戻り砂鉄の浜と呼ばれる砂浜で遊んだ。 ここではBBQや釣り竿のレンタルもあるため、なかなか楽しめそうな場所である。
僕らのお目当てはキレイなシーグラスである、かなり大量のシーグラスを発見することに成功したのだ。
さて、船が来るまで時間があったので、売店で『地魚フライ』を買ってみたのだが、とんでもないほど美味しかったので、是非島に行ったときはこれだけでも食べていただきたい。
そして軍艦三笠へ
無人島に別れを告げ、三笠公園へ戻り軍艦三笠へ。
大日本帝国海軍の戦艦である三笠は1904年(明治37年)〜1905年(明治38年)にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた日露戦争で活躍した軍艦である。
現在のロシア・ウクライナに少しでも関心を持って考えなければいけない、そして子供たちにも過去にロシアと日本が戦った事実があることも勉強して欲しい、という若干後づけ的な理由でワクワクしながら軍艦に飛び込んだのである。 いや、実は僕二回目なんだ、、
2009年に一度職員旅行で訪れているのだ。
30センチ主砲・補助砲を見ているうちに、息子と僕が言う『これスター・デストロイヤーだな…』
息子と同じことを想像していた。 やはり『お前の父はワシだ』。
戦艦内部には昔の部屋がそのまま残されている部分と、展示室・ビデオ室など、見ごたえはかなりあるのだ、そして時代にもバッチリついてきている、日本海海戦操艦シミュレーターやVRもあり、子どもたちにも興味が持てるような要素がある。
我が家の親族
↑館内の至る所に勲章の展示があり、ふと思い出した。
僕の母方祖母の親族には、井上 成美(いのうえ しげよし)という人物がいる。
井上 成美(いのうえ しげよし/せいび、1889年〈明治22年〉12月9日 – 1975年〈昭和50年〉12月15日)は、大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍大将。
帝国海軍で最後に大将に昇進した二人の軍人の一人。
生誕:1889年12月9日
日本・宮城県仙台市
死没:1975年12月15日(86歳没)
日本・神奈川県横須賀市
所属組織:大日本帝国海軍
軍歴:1906年 – 1945年
最後の海軍大将が親族にいるということがまず驚きだが、展示室にあった勲章もきっと関係があったのだろうと思うと、遠い親戚とは言え身の引き締まる思いである。
実は祖母から預かっている勲章があり大切に保管している。
これは母方祖父になる僕のおじいちゃんの家系と関係している勲章らしいので、今回の話とは違うものになるが、いかんせん血縁に立派な人たちがいた証拠に変わりはないので、ちゃんと生きていこうと思う(笑)
さて、今回の旅はこれで終わり。
無人島から始まり異世界を体験し、戦艦三笠を見ているうちに自分の親族との関係に気づき身の引き締まる思いをした今回の旅であった。
コメント