私は小説はおろか漫画でさえもあまり読まない人間である、ところがそんな私にも運命的な小説との出会いがあったりする。
始まりは小川洋子さん著書の「海」という小説と出会ったところからだ
[wpap service=”rakuten-ichiba” type=”detail” id=”book:13144125″ title=”海 (新潮文庫) [ 小川 洋子 ]”]
通勤帰りの電車の中吊り広告をぼんやり眺めているときに、ふと塾の広告にこの小川洋子さんの「海」の中に出てくる「ガイド」という短編小説と出会い、いつもなら疲れていて見過ごしてしまっていたが、なぜかこの時は珍しく題名を覚えてそのまま書店へ立ち寄って「海」を購入したのだ。
あまりに面白くすぐに読み終わってしまい、小川洋子さんの作品をもっと読みたくなり、また書店へ行き小川洋子さんの本棚をさがした。
「おーがーわー….おがわ….お….お….」
心の中で頭文字を唱え見つけたのは、小川洋子さんではなく、小川糸さんの棚だった、そこで1冊の小説と出会う。
「ツバキ文具店…」
なんとなくそのタイトルのタイポグラフィに惹かれ冒頭を読んでみると、なんと自分が生まれ育った鎌倉が舞台の小説だということがわかった。
後に嫁から聞いたが2017年頃にNHKのドラマにもなったらしいが、いかんせん小説・ドラマにはなんの興味もなかったわけで知るわけもない。
本を読み進めていくうちに、古き良き鎌倉のキャラクターたちやそれを取り巻く環境が頭の中に描き出されるのと同時にすごく懐かしさが蘇った。
私が小さいとき生まれ育った鎌倉の街とまったく一緒だし、私の祖母はなんとなくマダムカルピスのような感じなのと、バーバラ婦人は近所にいたおばあさん、すしこおばさんは私の叔母になんとなく似ているのだ。
そう思っているうちに段々とあの表紙の文具店を探しに行ってみたくなったのだ。 架空の話なのはなんとなくわかってはいるものの、でもなんとなくそういう場所があるんじゃないかと、気になったらもう行きたくてしょうがないのだ。
そしてとある平日の朝、子供たちを学校に送り出したあと私と犬は冒険へと出たのである。 少し長旅になることが予想されるが、こんなモコモコの犬は最後まで歩けるのだろうか….いささか不安ではあるが、とにかく”ツバキ文具店”を探しに行くんだ。
もう10月だというのに体内時計がずれたセミが鳴いている、晴れ晴れしい秋空に風が心地よく妖怪が出そうな山道を吹き抜けていく。
自転車を立ち漕ぎしたら確実に頭を強打するレトロな電車のガードをくぐり、車が1台やっと通れる道を歩き進める。
亀でもひっくり返ってしまうという由来がある亀が谷坂を抜け、鶴岡八幡宮へ向かう、小説にも登場したが”ツバキ文具店”は鎌倉駅から鶴岡八幡宮を抜け鎌倉宮の方にあるのだ。
蔦が壁にビッシリと張り巡らされたステキなお家も鎌倉には多い、昔から変わらない風景の一つである。
いつもはあまり意識してはいなかったが、そういえば鶴岡八幡宮へ行く途中にあるいかにも日本家屋の右門をくぐった先に学習塾があり、小学校の時に通っていたのを思い出した。
路地を歩くと、ここは確か氷屋さんだったんだ、ものすごく大きな氷の塊をタオルを頭に巻いたおじさんがのこぎりで刻んで、それをバイクの荷台に乗せて運んでいく光景を思い出す。
ここも変わらない鎌倉のユニオン、昔マダムカルピス(祖母)との買い物は紀伊国屋かユニオンだった、輸入品を扱っているからだろうか独特のこのスーパーの匂いが小さかった私の脳内に記憶され、生まれて始めてニューヨークへ行った時に「鎌倉のスーパーの匂いがする」と素直にそう思ったのだ。
20年ほど前にこのユニオンの前には「たこいち」というプレハブの小さなたこ焼き屋があり、何を隠そう私の人生はじめてのアルバイト先はこの古都鎌倉の小さなたこ焼き屋だったのだ。
しばらく歩くと目に飛び込んでくるのは小さなスクールバスだ、それを見た瞬間すぅっと懐かしい記憶が蘇る
「やった〜オレあおバス〜!!」
小学校のスクールバスには当時 赤・緑・青のバスがあって青バスの運転手が一番優しかったのだ、それに比べ赤バスの運転手がめちゃくちゃ怖かったのだ、だから赤バスに乗らなきゃいけなくなった時のテンションの落ちようはもう誰も止められないほどのスピードで落ちていった。
高学年になると下校は時間ごとに出るスクールバスに乗るか、京急バスか徒歩か、という選択肢だったが家庭内でいろいろとあった私はすぐに家に帰るのが嫌で、わざと漢字の書き取りの宿題を忘れ放課後の誰もいなくなった教室でおばあちゃんの担任と二人で居残りすることに居心地の良さを覚えていた、最後の最後まで残ってゆっくり八幡宮を抜けて歩いて帰ったのを覚えている。
来る日も来る日もこの景色を見ながら歩いていた、特に雪の降る登校は最悪だった、年がら年中半ズボンと革靴というわけのわからない制服を来て雪の降る鎌倉を歩き、足の指の先の感覚がなくなったころ『もうそろそろ登校をやめて引き返そうか』と思ったこともあるくらいだ。
まぁ長靴を履いていれば大したことではないのだが、いかんせん子供の頃の私は今とそう変わらず人の話を聞いていないのだ、あれだけしつこくマダムカルピス(祖母)に長靴を履いていけと言われたはずなのに、自分が革靴を履いて出たことに気づかず、江ノ電に乗った時に気がついたのだ。
さて”ツバキ文具店”まではもう少しだろうと歩みをすすめると、段々と子供たちの声が大きくなり、柵の向こう側には懐かしい風景が垣間見れた、それと同時に風にのってきた匂いは紛れもなくあの懐かしい文具や理科の実験といった教室の匂いだ、子供たちが元気に話している会話のエコーですら懐かしく感じた。
小学校の前で笑みを浮かべながら歩く私は一見不審者だと思われてもおかしくはないだろう、でもこの懐かしい匂いと音で笑みがこぼれない人間はいないだろう。
鎌倉特有の毛細血管のような道を歩き、あの”ツバキ文具店”を探す。
小説に出てきた文章をヒントに小さな路地を歩き回る、犬にとっては大迷惑な散歩である。
どのくらい歩いただろうか、犬も私も疲れ果て路地から出て腰を下ろすとそこは偶然にも鎌倉宮だった。
ぼぉっと景色を眺めてしばらくすると、一つの喫茶店が目に止まり、驚いて目を見開いた。
「見つけた….ここにあったんだ…」
小さく独り言をつぶやいて昔の記憶をたどる、ずっと昔にここに来たことがある、たしか小学校3・4年くらいだろうか、すし子おばさんのような叔母に連れられ「御朱印」を押す旅をしている時にここへ来たのだ、叔母はこの”梵”という喫茶店に私を連れていき、知り合いなのか店員と仲良く話をしていた。
テーブルも照明も壁紙も昭和感あふれる中でRGBカラーのようなメロンソーダを飲んだのを覚えている。
叔母は去年亡くなってしまって伝えることはできないが、記憶のどこかにずっと存在していた場所をまた見つけることができたのだ。
そして散々歩いても “ツバキ文具店” は見つからず
『まぁ架空の設定だからそんな場所は実在しないよな』 と、犬に話しかけ少し休憩をしてから公園を出ようとした時
この三叉路が目に飛び込んできて、慌ててリュックから小説を取り出す。
確かにここだ!! 本の装丁とまったく同じ景色が広がっている、建物は違っていても、ポスト・橋・椿の木に三叉路まで一致している!!
きっとここだ、ついにここまで来てツバキ文具店を見つけたんだ!!
「俺たちすごくないか?」
どうでもいいと言わんばかりの犬に話しかける。
小説の中に出てくる幻かもしれない文具店を探しに行くだけが、自分の小さかった時の記憶までたどることになり、鎌倉で育ったことを少しだけ誇らしく思えた、そして自分もまた小説に出てきそうな人になりたくなった。
[wpap service=”rakuten-ichiba” type=”detail” id=”book:19230541″ title=”ツバキ文具店 (幻冬舎文庫) [ 小川糸 ]”]
さぁ、家に帰って小説の続きを読もう、今度はこの光景を思い浮かべながら。
こうして秋空が広がった残暑の残る鎌倉で、記憶をたどる冒険が幕を閉じたのだった。
[wpap service=”rakuten-ichiba” type=”detail” id=”book:19689512″ title=”キラキラ共和国 (幻冬舎文庫) [ 小川糸 ]”]
↑続編 “キラキラ共和国” も絶対に読もうと思う。
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