まだ観光客も少ない、洒落た店もない30年ほど前の鎌倉、当時極楽寺に住んでいた時の夏の記憶。
人生で一番最初に好きになった電車は『江ノ電』。
昔の江ノ電はタンコロと呼ばれる江ノ電の形が2両編成・4両編成で12分おきに駅を行ったり来たりしていた。 そのタンコロは今では引退し色んなところで保管されている、由比ガ浜の海浜公園の1台もその中の1つ。
昨日子供と一緒に久々に中に入ったら子供の時の記憶を鮮明に思い出した。
自分が当時3~4才くらいだった時、赤電(600系)やチョコ電(800系)と呼ばれる今では珍しい赤とクリーム色・茶色とクリーム色のツートン江ノ電が走っていて、その車両が駅に入ってきたとき『今日はいいことがある』とそう思っていた。
幼児教室のお絵かきの時も江ノ電、誕生日ケーキに江ノ電の絵を描いてもらったことがあるほど好きだった。
1990年代から観光地として栄え始めたせいか江ノ電も次々と形を変えていったけれど、今思えばけっこうとんでもない車両に乗っていた気がする。
たしかこのレバーが速度調整で右のグレーの装置がブレーキだったような、あのグレーの部分に運転手が一人ずつ自分で持っているレバーをはめ込んで運転していたのを覚えている。
なにがすごいって、運転席との間に壁がないということ、電車に乗ったらこのバーにしがみついて運転手を観察してた。
床は木製、これも走行中に線路が見えるという今思うと恐ろしい床である、ここに傘つっこんで遊んでた…
これは107号という1980年ごろまで頑張ってた車両だから実際にこれには乗ったことはないけど..
つまんで持ち上げる窓とか、今の子には理解できないようなアナログな車内に息子の一言『バスみたい..』たしかに(笑)
小さい時に穴が開くほど見ていたのは電車の顔と車体、そして足回りというなんともマニアックなところ、だから小さい時の江ノ電の絵は車体より足回りの方がメチャクチャ凝っていた気がする、枕木とか線路のネジとか…なんかそういうどうでもいいところに惹かれる変な子供だった。
子供の時に描いていた江ノ電を改めて描き直してみる+自分が小さい時にいったい何にこだわって絵を描いていたかを描いてみた。
当時4才、もしかしたら今の自分の子供も親の知らない思いで絵を描いているんだろうな、大人になったら忘れてしまうから今の内に聞いておくことにしよう。
そして、鎌倉が昔の街並みのままでいてほしいっていう少しエゴな想いがある、オシャレな街は悪い事じゃないし鎌倉をブランドみたいにして観光できる場所を増やすのも良いアイデアかもしれないけど、でも観光で栄える前の素朴な鎌倉が好きである…もっと不器用で飾りっ気のない鎌倉が本当は好きだ。
↓幼稚園の時に読んでいた絵本
[wpap service=”rakuten-ichiba” type=”detail” id=”book:10173714″ title=”うみのでんしゃぼくらの江ノ電 (のりものえほん) [ 中島章作 ]”]
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