ブログで書くのは突然になりますが、実はこの度15年間続けた教職を離れることになりました。 いろんな思い出や出来事がありすぎて、何から書いたらいいのか、何を書けばよいのか、うまく整理がつけられないままこの記事を何度も書き直している。
なので、きっとまだコレに関して記事を書く気がしたので、『その1』と呼んでいる。
少し取り留めもなくなってしまうかもしれないけれど、これまでを振り返った想いを少しずつ綴ってから次のステージへ進んでいこうと思う。
ハロー先生
今から15年前、初めて教師として教室のドアをくぐった春。
徹夜続きのブラックデザイナー生活から転職し、自分が覚えてきた経験を今度は子どもたちに教えていく人生が始まった。
もともと高校時代に描いていた将来の夢は保育士もしくは介護士で、『人のためになにかしたい…..』という想いから、『どうせ何かするなら自分の持っているデザインスキルをたくさん活かせる場所がいい……』そして少なくとも平和ではなかった僕の生い立ちや人生経験を、誰かの人生が前向きになるネタになるならと……冗談抜きでそんなピュアな気持ちをぶら下げて、専門学校の担任になったのだ。
幸いなことに…
20代の若造が急に入校してきて教壇に立つ。 そんな状況に警戒心が芽生えない学生なんているはずがない…受け入れてもらえるか否かは学生次第…
でもそんな不安も裏腹に、信じられないくらいのスピードで学生たちに受け入れてもらい、順風満帆な担任生活がスタートしていった、この頃の学生たちには本当に感謝している。
辛いことのほうが多かったかもしれない
当然辛いこともたくさんあった、いや…辛いことのほうが多かったのかもしれないし、辛いことに自ら足を突っ込んだ指導をしている自分もいた。
毎年、桜の季節に出会いと別れを繰り返して、たくさんの教科を担当して、良いか悪いかは別として担任だから休日も関係なく学生の対応をしてきた。
僕の指導の一言で傷つけてしまった学生もいるし、保護者からわけのわからん理由で怒鳴られたことだってある、今だから言えるけど自殺未遂を防いだことも、家出した学生を説得したり、クラスのいざこざを一つずつ紐解いていったり、警察のお世話になった学生の面倒だってみてきた。
気がつけばデザインを教える為に来たはずが、その子・その家族に寄り添い、その子の未来が少しでも良い方向になるよう、デザイン以上の教育に足を突っ込んだ自分がいた ”ものづくりができる金八先生”に本気でなろうとしていたんだと思う。
別にそんなことをしなくても、ただデザインを教えて就職させればこの職は全うできたんだろう。 けど、辛そうに路頭に迷っている子や、辛いことを隠して明るく振る舞っている子どもたちを見ていると、どうしても自分の過去とシンクロしてしまい、僕が過去に辛かったとき『あのとき大人たちからこう言って欲しかった』『こんな大人が近くにいて欲しかった』『全力で甘えてもいい場所が欲しかった』という
“あの時いて欲しかった大人になろう”と誓った、そして日々ものづくりが上手くなっている学生たちの笑顔にどれだけ救われてきたのか数えきれない。
手前味噌なのかもしれないけれど、ひとときも学生がどうでもよくなることは一度もなかった。
そこから15年
そして15年が経った今年、僕は教職から離れる決断をした。
なんで離れるのかを説明すると、そうだな…いろんな理由が絡まり合って一言では語れない状態なのだが、、
15年間自分がやってきたデザイン学科経営と教育方法に一つの答えが出たこと(入学募集数・就職率・受賞率・最少退学率すべてにおいて過去最高の数字を叩き出し、入学〜教育〜就職まで安定感のある人気学科の構築に完成した)。
時代の流れが早すぎて、特に僕の得意とするWebやグラフィックの分野では、このままこの現場で教員だけを続けていると、いつまでも古いシステムのことしか教えられない井の中の蛙人間になっていってしまう怖さに耐えられなくなったこと。
そして何より、ずっと自己犠牲をモットーに誰かのために費やしてきた僕の人生を、今度は少しだけ自分のために歩んでいきたいと思ったこと。
そんなところだろうか…
在校生を途中で放り出す罪との葛藤
これを言い出したら先生という職業はキリがないのだが、1年〜3年(約90名)全学年の担任をやっているが故に、1-2年の担任を途中で中断する、それは学生からしてみれば『見捨てられた』という風に捉えられてもおかしくはないはずだ。
いくらすごい教材を残していったとしても、いくらしっかりとした引き継ぎができたとしても、その不安を解消してあげることは僕にはできないから、考えていはいけない…でもやっぱり気になってしまう、『もう一年惰性でも頑張れるか?』『いや教育に惰性なんてものはない』、そんな自問自答を長いこと頭の中で毎日毎日繰り返してきた。
そんなこちらの葛藤を知ってか知らずか、1年からも2年からもサプライズでお礼をもらってしまい、学生の前では泣くまいという僕のルールは一瞬にして崩れ落ち、不覚にも2年の教室で号泣してしまう始末。
『申し訳ない…本当に申し訳ない』こんな決断しかできなかった自分の背中を、寂しいけどちゃんと押してくれる自分のクラスに感謝の気持ちしかない。
泣いている場合じゃない
前に進んで行かなくては、教え子から背中を押してもらっているなら、尚更泣いている場合じゃない。
今僕は、3月末までの終わりに向けて、変わらずに学生が生活を続けられるように頑張って引き継ぎできる材料を用意している、居心地が良くて気がつけば多くを抱えて過ぎてしまったみたいだ。
カウントダウンは始まった、周りから何を言われても、大好きな学生たちと昔から一緒に働いてきた大好きな現場の人たちの為に残りの時間を使おうと思う。
コメント
ブログ拝読しました
先生と3年間過ごした学校生活はとーっても楽しいです!
残りわずかですがよろしくお願いします!
あと…先生とやり残したことは…
ポッドキャストにゲスト参加かなと…笑
15年間の教職生活お疲れ様でした。
たかや先生はいつも生徒から人気の先生でした。
卒業してからも学校にいくと笑顔で元気にしてるか?
と言ってくださり嬉しかったです!
教職から離れてもたかや先生はみんなの先生です!
今までありがとうございました!