この話を聞いて、今の虐待をする親の気持ちが許せないのと、虐待の範囲に含まれないだろう国の法に対してすごく複雑になった記事。国がどうであれ、経済がどうであれ、子供の気持ちは時代を経ても変わらない。
だからどんな時代であろうと子供が言われて嫌のことは俺は言わないと心に誓ってみる。。
そんな事を思いながら、朝この記事を電車待ちの時に読んで少し泣いてしまった。
↓ここから記事です。(某保育園の先生が感じ取った事実。)
その子の親に対して最初に不信感を抱いたきっかけは、連絡帳でした。連絡帳には、保護者から家での様子を書いてもらい、こちらは園での様子を書いてお返ししています。特に、体温、排便、睡眠時間、昨夜と当日の食事の部分は必ず書いてもらっています(言葉をうまく話せないことから、3歳までの子どもは重要)。
その男児は毎晩、「ミートソース」「カレー」の繰り返しで、「スパゲッティとカレーが好きなの?」と聞くと、「アンパンマンが描いてあるから」と答えたのでした。どうやらレトルト食品を毎晩食べているようで、朝は毎日菓子パンと記載されていました。つまり、男児がまともなごはんを食べられるのは、保育園だけです。いつもいつもお腹が減っていて、何度もおかわりをしていました。
そして、その子は靴下をいつも履いておらず、靴はサイズが合っていません。「サイズが合っていないので、痛がっています」と言っても、1カ月間その子は我慢して履いていたのでした。靴下を履いてなかったのは、少しでも長く、小さい靴を履くためだったのです。母親はバーキンを持って、キレイな服を着ているのに、なぜ? 子どもの靴なんて、ABCマートで1センチ大きいサイズを買ってくればいいだけです。手頃な価格の「瞬足」で十分なのに……。育児放棄は金持ちとか貧乏とか関係ないのかもしれませんね。
極めつけは、「トイレトレーニングを始めたいので、トレーニングパンツを持ってきてください」と言ったときのこと。「忙しくて、面倒くさいのでいいです」と母親は言いました。トイレトレーニングは自然とできるものではなく、保護者と保育園の両方でやらなくては完成しないと思うんですよ。「もう、○○くんはできると思いますので、パンツを持ってきてください」……おせっかいだと言われればそれまでですが、子どものためと思い、その後も言い続けました。
「仕事もしてて、上の子のお教室もあって今は忙しいです」。それが母親と交わした最後の言葉でした。保育士や私に言われるのが嫌になったのか、そのまま登園しなくなりました。仕事が大変なのもわかるし、小学校受験の子どもがいると大変なのもわかります。でも、もうちょっと下の子どもに愛情を注いでほしかった。今でも、保育園ではその子の話が出ますよ。「ちゃんと食べてるかな」「生きてるかな」「トイレできるようになったかな」……。
こんな記事を読み返しながら、本当は大嫌いな自分の母親に、密かにアリガトウと言っている自分がいたりするもんです。