卒業制作、本日夕方にて終了。
間に合った人も、そうでない人も、お疲れ様でした。
自分が人に見せられる、自信たっぷりの作品は出来上がったでしょうか。恐らくこんなに一つの作品に時間を費やすことができるのは最初で最後なのだろうか。
時間に間に合わすことももちろん大切だけど、一番大事なのはその作品が人に自慢できる物になったかどうかである、胸を張って小さい頃のように堂々と見せてやればいい。
っとまぁ、今日で最後の授業を終えた帰り道にそう思った。
だめだ、この時期は毎年辛くなる。去年の今頃もそんな感じだった気がする。
今年旅立っていく子達は、自分が初めて入学してから卒業までを見ることができる子達である、、
[tegaki]楽しかったかい? この2年間は。[/tegaki]
今年から2年の担任を持っていない自分にとっては、卒業ゼミ担当でもなく担任でもなく、卒業式に点呼をすることすらできない、ただの黒子である。でも誰かの記憶の中でフォトショとWEBを教えてた若い野郎がいたって事だけでも残っててくれればそれでいい。
なんだか寂しさの気配を感じさせながら、ドデカイ問題を抱えている自分もいる。
進級審査の日が近づいている今日この頃、今までになく職員室がざわめいている、、自分の予想をはるかに上回るほど凹んでいる自分がいる。
去年の代とは全く違う、打っても打っても空振り三振の様な状態である、自分が一番嫌いな『他人事無反応』 という辛い状況に立たされている。
『ゆとり教育のせいかしら。。』
とか色んな声が飛び交う中、好きでゆとり教育になったわけでもない子達を責めるわけにはいかない、ただ初めての人格にただただボーぜんとしているのだ。
そして1人の子と面談をする。いろいろと話すうちに、そいつの内側に潜んだ想いが伝わってくることに気がついた。
正当とは言えないが思い詰めたまっとうな理由があるではないか、なぜそれを伝えようとしなかったのか、、それはきっと
『こんな子供みたいな言い訳、通用するはずがない。』
って思っているからなのか。通用するかしないかは言ってみなければわからない、ただ言わずに黙っている事が『無機質』『目が死んでいる』という風に繋がってしまうケースが多いことに、なんとなく気がついた。
本当に心が死んでいなかったから、少し救われた自分もいた。その子は最後に
『また来ても良いですか?』
っと言ってくれた、今日の心に残る一言。嘘でも本当でもいい、そいつが少なくとも相談できそうな相手として自分を入れてくれたことが嬉しかった。
まだ、捨てたもんじゃない、きっと今の子達を救う何かがまだ残っている、そんな様な気がした。
家に帰って、息子に
[tegaki]『そんなことでクヨクヨすんなよ。』[/tegaki]
っと言われている、気分になった。
コメント
卒業制作で考え方というか、締め切りの大切さを今まで一番感じました :::k
美形あかちゃんかわいいですね :::face3 産学展でだっこできるのが
めっちゃ楽しみです^^ :::heart3